消えゆく香港の景色から見えてくるもの──ジーン・クレール夫妻の私的プロジェクト
ファッション・ディレクターのジーン・クレールが、妻でアーティストの直子さんと香港の消えゆく街並みを写真に収めた『FOOTSTEPS IN SILENCE』を出版した。ふたりに熱い思いを訊いた。
「香港は一見、高層ビルが建ち並ぶ都会的な街。でも、一歩ビルとビルの隙間に入れば、まるでタイムマシンに乗って時間をさかのぼったような景色がぽっと現れるんです。そんな発見があるのが香港の魅力です」
そう語るのはジーンさんの妻でアーティストの直子さん。2010年から毎年夫婦で香港を訪れては、そんな昔ながらの香港の街並みを撮ってきた。
「最初は宝探しのように楽しみながら写真を撮っていましたが、やがてその景色の多くが都市開発や街の美化のために壊され、消えているのを知りました。前に見た景色が、もうなかったということもしょっちゅう。そんな失われていく香港を記録に残すために本にしたいと思ったのです」
最初は歩いて行ける距離の場所から、次第にふたりは列車や車を乗り継いで、知らない土地にまで足を延ばすようになった。扉が閉ざされた売店、散らかったままの理髪店、電気の消えた食堂、割れたガラス窓から猫がのぞく廃墟ビル──旅先で見つけた、まるで時が止まってしまったような景色にふたりはいっそう魅了されていった。
「最初は香港に住む人たちに見てもらいたいと撮り始めたけど、じつはこれは世界中で起きていること。日本も例外ではありません。この本から子どものころの景色や思い出がよみがえる人もいるかもしれない。忘れ去られてはいけない景色があることに気づいてもらえたら」と語る直子さん。ジーンさんも続ける。
「いつからか経済がもっとも重要なものだと信じて私たちは生きるようになりました。その結果、高層ビルは乱立し、そこにそれまであった文化は消滅してしまう。毎朝通り過ぎるお店の前で店主と交わす何気ない会話が人々の暮らしの質を豊かにし、それが街を形成するのだと多くの人は認識していません。失われてから初めて気づくのです」
「フットステップス・イン・サイレンス」(沈黙のなか忍び寄る足音)と名付けられたこの本から私たちは学ぶものがたくさんあるはずだ。
イナガキ・ナオコ・クレール
アーティスト、VMD、ディスプレイデザイナー。写真を通して、旅先で訪れた場所の文化を捉えることに情熱を注いでいる。
ジーン・クレール
『GQ JAPAN』インターナショナル・ファッション・ディレクター。50年以上ファッション業界に身を置き、デザイナーとの交流も深い。(2019.3.3 for GQ Japan)